学校の沿革

   学校の沿革は、富山いずみ高校のホームページに詳しく紹介されています。



      ≪富山県立富山いずみ高等学校ホームページ≫





歴史の中の3つの学校

    3つの学校の校旗、校章、校訓、校歌を紹介します。



                   ≪歴史の中の3つの学校≫






清泉同窓会 会員数   


         平成 5日現在
           
                            
富山高等女学校 9,152
富山女子高校   20,364
富山いずみ高校 4,343
合     計 33,859



                    ≪令和4年度卒業生 192名が入会されました≫              

           







清泉同窓会の歴史
 

 昭和31年に富山県立富山女子高等学校へ入学した第1回生の巣立ちに合わせて同窓会規約が整備され、第1回卒業生は34年3月の卒業と同時に富山女子高校同窓会員となった。同窓会が発足して間もない34年4月27日に、富山県立富山高等女学校同窓会から合併の申し入れが行われた。その後、富山女子高校同窓会は再三役員会を開いて協議を重ね、5月4日には両同窓会の代表者による会談が開かれた。
 こうした経過を経て、5月17日、富山女子高校同窓会は第1回総会を開き、その席で合併が決議された。前日の16日には富山高等女学校同窓会も同様の決定を行い、以後双方から15名の合併準備委員が選出されて合併に向けての具体的な準備が進められた。その中で規約等も合意され、会の名称を「清泉同窓会」とすることで意見が一致した。
 昭和34年7月26日、本校講堂で清泉同窓会の発会式が開催された。当日の参加者は、富山高等女学校から264名、富山女子高校から153名にものぼり、「酷暑の折から、このような多数の参加を予想していなかった準備委員の方々にとってはまことに嬉しい悲鳴だった」と『泉』第7号は記している。
「縣富女 百年史」  清泉同窓会 発足 より抜粋
注:『泉』は富山女子高校生徒会誌

       昭和34年7月26日
             清泉同窓会 発会式





清泉同窓会の名称


 昭和34年7月26日に合併し、新しい同窓会を発足するための合併準備委員会の作業の中でもっとも難しかったのは同窓会の名称である。当時の記録によると、名称についてはいろいろの案があったそうであるが、高等女学校の「清修自守」から一字「清」を、富山女子高校の生徒会誌から「泉」をとり、「清泉」と名付けられたようである。
 「泉」は高等女学校、富山女子高校共通の地、堀川小泉の泉に因むものである。そして、その名称には、清く尽きせず湧く泉の清新な命を称えるという意味を込め、意見の一致をみたのである。
 「縣富女 百年史」  清泉同窓会の名称 より抜粋






清泉同窓会  元会長  副会長


元会長  塩井外喜子 元会長 鹿熊和子 元副会長 荒俣節子
富山高等女学校 38回生 富山高等女学校 44回生 富山高等女学校 45回生
鹿熊和子様は、
平成23年3月26日に
ご逝去されました


創立八十周年記念事業を実施
創立九十周年記念事業を実施
創立百周年記念事業を実施





元会長 中尾 淳子 元副会長 村山 千栄子
富山女子高校 1回生 富山女子高校 1回生
清泉同窓会 創立50周年記念事業を実施










創立百周年


記念式典   平成13年5月26日(土) 富山市芸術文化ホール (オーバードホール)
                
        
             北日本新聞夕刊 記事



鹿熊和子清泉同窓会会長(当時)のごあいさつ




校歌斉唱

白たへに 雄々しき
     日本アルプスの嶺や・・・


♪ 咲く花は 薫りを含み
         うるはしき 生命輝く・・・





1階席から5階席までオーバードホールいっぱいの在校生と同窓生




祝賀会    平成13年5月26日(土)

   
富山第一ホテル




清泉同窓会に対して
浜本学校長(当時)から謝辞がおくられました

       富山新聞 記事




鹿熊和子清泉同窓会会長(当時)のごあいさつ

富山新聞掲載写真




創立百周年記念事業


「清泉同窓会員名簿」の刊行
「縣富女 百年史」の発刊
清泉会館リフレッシュ
記録ビデオ「清泉につどいて」の制作
記念音楽会 富山市芸術文化ホール(オーバードホール)
記念講演会      加藤タキ氏 富山県民会館   
CD「創立百周年校歌」の制作



記念音楽会



≪創立百周年記念品≫